丸七水産
昼食は2日連続で『チーカマと干し芋』にチャレンジしているハシムランドです。
エクステリアをプランニングするときに毎回悩まされるのが、表札やアプローチを照らすライトの選択なのですが、なかなかイメージにマッチするものがありません。
デザインが斬新すぎたり、または特徴が無さ過ぎたりと、好みのライトに出会うことは結構難しいのです。
そこで今回は、既製のライトを加工しオリジナルを作成してみます。
全ての工程は仙台市内の近場でもできるのですが、市内の工場は震災後の復興特需で繁盛しているようなので大丈夫。
少しでも被災地の復興を応援したい想いで、南三陸町の職人に加工をお願いすることにしました。
南三陸町は3月の震災直後に訪れていますが、街の様子は当時とほとんど変わっていません。道路沿いの瓦礫が更に奥に移動され、車の通行には支障が無くなりパンクの心配も無用の様です。
汚泥が残る道路 (3/23撮影)
警察官舎の屋上に載った車(3/23撮影)は現在もそのままです
自衛隊が架けた橋(3/23撮影)もそのまま
赤い鉄骨が南三陸町役場(3/23撮影)
奥に見える建物の屋上を津波が通過しました(3/23撮影)
旧志津川町の変電施設から各集落へと新しい電柱が次第に延びていき、今回お世話なりました歌津の丸七さんの仮設住宅まで電線が続いていました。
私は5/29に訪れたのですが、前日の5/28の夜遅くに待望の電気が来たそうです。震災から2ヶ月半もの間、電気の無い生活。それまでは支援物資のソーラーパネルが重宝していたそうです。
水道はまだまだ先のようで、丸七さんの近くまで仮設の水道管が通ってはいるのですが、開通の見通しは9月頃とのことです。現在は500Lのローリータンクを設置し、一日おきに給水車が廻ってきてくれています。
丸七さんは、豊かな南三陸の海でホタテや牡蠣の養殖・天然物のウニやワカメなどの漁業を営んでおられる丸七水産の高橋さんご一家。
丸七さんは津波で、家・加工場・船・養殖棚とすべてを失いました。ご家族や従業員の方々の命がご無事だったことがなによりです。
丸七水産の加工場と自宅あと(3/23撮影)
緑色の階段を上がった平地にその後、丸七さんが自力で仮設住宅を建てました。
非力ながら私はお風呂や建築資材にて応援させていただきました。
今からここに仮設を建てようと思っているんだ・・・と震災直後の丸七さん(写真左)と友人(3/23撮影)
丸七さんの仮設住宅より撮影(5/29)山の中腹には丸七さんの車が載ったまま
山に架かる電線の高さまで津波がきました(5/29撮影)
被災から2ヶ月半で建てた仮設住宅。40坪あり、中は広々4LDK。(5/29撮影)
『歌津のジョン』こと丸七さんの一声で、板金屋・塗装屋・溶接屋・大工・電気屋・電気工事屋さんといったプロが集結し、果ては造船屋さんまで絡めて、私の持参したライトの加工をあ~だこ~だと検討していただきました。
彼らの職人魂には被災なんて関係無いようです。プロフェッショナルですね。頭が下がります。だけど私も負けないよ。と、ちゃっかり勇気までいただいてきました。
皆さんどうもありがとうございます!!
丸七さんの仮設住宅に集結した職人さん
ライトが完成する来週に再び南三陸町に行ってきます。
楽しみだな。楽しいね。
津波でなにもかも流されてしまったから、今から新しいアルバムを作っていくんだ・・・
と丸七水産の和子さん(後列中央)。
いい写真がありましたよ!!来週新たなアルバムと一緒にお届けします
和子さんの両隣は長男の栄樹君と次男の祐樹君。
前列の4人はご近所の三姉妹とお母さん。
皆様より素敵な笑顔で見送っていただきました。
避難所にて(3/23撮影)
栄樹くん。世界に向けて発信しておいたからね